国内と「世界」、大企業と「中小企業」の違いとは?
こんにちは、早稲田ビジネスパートナーズ(株)代表取締役の多田款です。
私及び早稲田ビジネスパートナーズ(株)の仕事内容は、いわゆる「中小企業向け」の経営コンサルティングです。なぜ中小企業向け、と銘打ったコンサルティングを行っているのか、なぜこの世界に飛び込んだのか、自分史的な内部要因と多くの中小企業を取り巻く外部要因からお話しします。
<ジャパン イズ NO.1?>
私は元々が大企業の出身であり、取引先も世界的な大企業、しかも半導体という最先端技術の象徴みたいなモノの営業・マーケティングを行ってきました。90年代後半から2000年にかけて、自動車産業からIT産業といった非常に足の速い世界の現状を目の当たりにし、その荒波の中で日々の生産・納期に翻弄される大企業を中で仕事をしてきました。当時ETC(自動料金収受システム)やAHS(白線認知や車間距離制御による自動運転システム)といったITS関連を担当していた私は、クライアントとの打ち合わせで3年先、5年先などの「未来の世界」の実現に向けて、品質問題や納期問題などかなり泥臭い仕事をこなす日々にそれなりに満足していました。日本企業の技術力の高さに驚きながら、その一翼を担うことに喜びながら一介の会社員生活を過ごしていました。
<ITバブルの崩壊と日本企業の対応>
世界をリードする日本企業、という認識が崩れたのは、2000年にシンガポールに若手同期代表として国際化要員として派遣されたことが契機でした。日系企業のみならず、HPやノキア、サムソンといった現在の世界的企業が競合、はたまたクライアントとして営業会議の資料に登場してくることは、日本国内で営業していた私にはまさにびっくりの連続でした。特に携帯電話の世界市場においては、日本国内で常にトップを走っていたNECや松下、三菱の名前がはるか下位に廻っており、代わりに欧州系企業の名前ばかりが議題に上がっているのです。さらに英語、中国語、日本語など何ヶ国語も使いこなし、様々なシステムに堪能なローカルスタッフ(シンガポールでは中国系が多い)の優秀さに驚くと同時に自分自身に対しての危機感がつのりました。彼らは語学等のビジネススキルだけではなく、世界の政治・経済に対しても非常に敏感であり、また知識も豊富で常に経営的見地から意見を述べるのでした。同期では数名しか選ばれないエリートである国際化要員の面目を保つ為に私は「日の丸根性」で日本サイドの見解を一生懸命述べるのですが、全く目線の位置が異なり論理的に惨敗していました。思い起こせばこの後「ITバブル」が発生しており、半導体の過剰在庫を危惧したローカルスタッフが相手の生産見通しに関して適切なマーケティングを行って組織的に自社在庫を削減していたのです。その一方で日本サイドは官僚的で柔軟性の無い予算組みと無謀とも言える売上げ計画を立てており、市場が失速しているにも関わらず増産体制を見直そうとしませんでした。市場が急激に飽和することは冷静な分析を行えばあらかじめ分かることでしたし、なぜマーケティング部門が生産・営業部門に対して適切な発言を行えなかったのか?と今でも悔しさを思い出してしまいます。
その後帰国し、業務に携わる傍ら経営に関しての書籍を読み漁りました。経営的な視点を持つことで、自社の動き方や組織体制、マーケティングの仕組みからSCMなどが自然と理解できるようになってきました。仕事も面白くなってきて、早く意思決定出来るポジションに行きたい!と思うようになって昇進を視野に入れるようになってきました。ところがしばらくして所属していた会社の合併が明らかになり、システムの統合や社内体制の変更など社内が急にゴタゴタしてきました。合併先との派閥争いまで耳に入るようになると、職場環境に嫌気がさしてきて「いつか自分が経営者として意思決定できるように」とMBA取得費用の捻出にメドをつけて、半導体企業を退職しました。
<MBAによるPBL:プロブレム・ベースド・ラーニング>
半導体企業退職後、経営に関する勉強を民間のビジネススクール(グロービス)で本格的に開始、また中小企業診断士の受験コースでも勉強するようになり、経営に関しての基礎的な技術を体系的に学んで行きました。MBAの取得に関して(本来MBAは学位名であり、取得すること自体が目的ではないが)、私は日本企業の問題点を深堀りして、そこに世界標準であるMBA的経営手法を当てはめていくことを目指していたので、欧米ではなく日本国内のMBAコースを検討していました。母校であった早稲田大学のMBAコース(アジア太平洋研究科:国際経営学専攻)への進学を決めた後、フリーのコンサルタントとしてプロジェクト毎にクライアント(東証2部上場企業)に入り、購買システムなどの導入に関するコンサルティングを実施、同時に知人のベンチャー企業や飲食店等に対するコンサルティングやマーケティングを行い、活動の幅を広げていきました。
早稲田大学ビジネススクール入学後すぐ、私の人生で最も大きな転機が訪れました。MOT科目のひとつである「アントレプレヌールシップ(大江健教授)」の授業において東京都墨田区の金属加工企業を生業とする浜野製作所様のコンサルティングを学生が行う、ということになったのです。(言いだしっぺの私がリーダーをすることに)本クラスには、高いスキルを持った学生(学生と言っても一流企業の30代:課長クラスがほとんど)が在籍しており、経営統括・営業・生産・人事・ITといった多方面からの包括的コンサルティングが実施されました。授業とグループワークとレポートやプレゼン資料作成に追われて学生の平均的な睡眠時間は2・3時間程度だったにも関わらず、本コースは現場主義が徹底され、3ヶ月間に数度の企業訪問やインタビューから企業実態に合わせた、かなり本格的なコンサルティングが実施されました。またこれらの活動自体は「PBL:プロブレム・ベースド・ラーニング」として日経新聞にも掲載され、最終プレゼンテーションを企業様はじめ各方面から高い評価を受けたものでした。
<MBAの手法が通じない?大企業ともベンチャーとも違う経営革新に関する中小企業特有の問題>
プレゼンテーションを完了し分厚いコンサルティング資料を手渡して一ヶ月ほど経過したある日、当時のコアメンバーと浜野社長様との間でいわゆる「ご苦労さま会」が行われました。最初はいろいろ苦労話や経営に関する今後の施策などに花が咲きましたが、会が進み終宴後、社長が私に耳打ちしてきました。
「実は、、、、提案されたことが何一つ実現できていないんですよ・・・」
「自分達の提案内容が何一つ実現できない?いや、そんなはずはない。何度も現場に足を運び、内容を擦り合わせしたはずだ。しかも段階を追って、各部門との調整を図りながら実施していけるはずなのに・・・・何故?」
当時上場企業やベンチャーに対してMBAに在籍しながらコンサルティング活動をしていた私にとって、全く提案内容が実現出来ない、というのは大変なショックでした。と同時に「何故実現できなかったんだろう?その原因はいったいなんだったのか?」という素朴な、かつ私の人生のテーマともなる疑問が内側からふつふつと湧き上がってきるのを感じました。
ここから私の中小企業研究が開始されました。